ときおり強い雨の降る中、TOHOシネマズ名古屋ベイシティへ。「ネイビーシールズ」を観る。

映画『ネイビーシールズ』公式サイト

過酷な訓練を乗り越えてきた数パーセントの精鋭兵士たちで編成され、オサマ・ビンラディン暗殺をはじめとする国家の最高機密作戦に従事している、アメリカ軍が誇る特殊部隊のネイビーシールズ。そんな彼らに、誘拐されたCIAエージェントの救出という新たなミッションが下される。冷静に着々と救出作戦を遂行させていくが、誘拐事件は恐ろしい大規模テロ計画へとつながっていた。国家のため、家族のため、仲間のため、さまざまな思いを胸に秘めながら、ネイビーシールズの面々はテロ計画の中枢へと突き進んでいく。

引用元:映画『ネイビーシールズ』 – シネマトゥデイ

戦闘シーンでは、一人称の視点というか、自分がその場にいるような視点からのシーンがある。それはまるでウォーゲームのよう。ゲームではコンティニューできるけど、実際はミスったら死んでしまう。「フィクションではあるけど、兵器や戦術はすべて本物」と予告編で言っている。じゃ、あの目標物を捉える偵察モニターも、実際に使われているんだ。空からロックオンされて、場所が狙撃兵に伝わり、スナイプされるのか。

この映画のストーリーは、それほど大きくならない。テロ計画が一般市民の目に触れ、街が大パニックになる…ということはない。普段の生活と地続きなんだけど見えない所で、テロ計画は静かに進行していく。映画としての派手さはない。

でも、これがネイビーシールズの日常なんだよね。毎日がドラマチックではないのは、ボクらの生活でも一緒。会社や学校に行くのと同じように、軍の命令で現地に赴き、戦闘をする。時にはケガをしたり、命を落とすこともある。

アメリカのやっていることはさ…という意見も出そうな映画だけど、それでも「何かを守るということ」について、一度考えてみたくなりました。