前に「ほぼ日手帳を使い続けることにしたきっかけ」という記事を書きました。一日1ページに余白が多くっても、そこに書いてある一行、あるいはひと言で、その日の記憶が呼び起こすトリガーの役割をすることが分かったので、使い続けることにした、という内容です。

ほぼ日手帳を使うのを迷う人って、多いんですね。「長期記憶を捏造しないために『ほぼ日手帳』を使いたいけど三ヶ月坊主が怖くて買うた辞めた音頭をした話」を読んで「とりあえずなんか書いてみたら?」と声をかけたくなりました。

長期記憶を捏造しないために『ほぼ日手帳』を使いたいけど三ヶ月坊主が怖くて買うた辞めた音頭をした話 – 情報学の情緒的な私試論β
長期記憶を捏造しないために『ほぼ日手帳』を使いたいけど三ヶ月坊主が怖くて買うた辞めた音頭をした話 …

「買うた・やめた音頭」は、分かるなあ。使いこなせるか? 使いこなせないんじゃないか? と、レジと売り場を往復するの気持ちや行動をうまく言ってるなあ。

ゴチャゴチャ書いているうちにルールができる

長期スパンで計画を立てるのだって、最初から整然と書けるようだったらそもそも手帳はいらない。まとまってないものをバーっと書いて眺めているうちに「なんとなく、こんな感じかなあ」と、方向性が見えてくるものです。

ボクもそうなんですが、手帳をキレイに使おうとしたらいけないね。とにかく、なんでも書いちゃう。最初から決め事を作らないほうがいいですよね。使いながらルールを作るのが、長続きする秘訣かも。

手帳の達人もそうだった…はず

「手帳の達人の使い方」というのも、いろいろ試してみた結果、整然と使えるようになったんだろうなと思うようになりました。きっと自分のルールができるまではゴチャゴチャだったはず。「ルールは書きながら考える、とにかく、書く」が、手帳を使いこなす第一歩。

ほぼ日手帳は自由度が高すぎて、どうしたらいいのか迷っちゃうんだよね。12年使ってきて、ようやくこういう考えができるようになってきました。