最近よく思うのは、ボクは金の稼ぎ方が下手だなっていうこと。

「お金の稼ぎ方」系の本をもう一回読み直してます。イケダハヤトさんの note も買いました。

マネーの教科書:好きを仕事にするための資本主義論。|イケダハヤト|note
マネーの教科書:好きを仕事にするための資本主義論。|イケダハヤト|note

読んでみて「ボクが今まで読んできた本と同じことが書いてある」って思いました。

同じことが書いてあっても、別にムダな金を使ったとは思ってません。むしろ、お金の稼ぎ方の本質を確認できました。

自分の売り物を見つけて、それを売ることでお金を得る。そして、商売のマインドを身につけなければお金って増えていかないんですよね。

金を稼げる人、そうでない人

その時に思ったのが、ボクの大学時代の話。

テストに向けてノートの貸し借りがあると思うんです。真面目にノートを取っている人からノートを借りて、コピーする人もいる。最近は、スマホを使って写真に撮るでしょうか。そして、ノートを1部いくらで売って、儲ける人もいる……。

勉強という側面から見たら、ノートを売るなんてもってのほかです。でも、商売という面から見るんだったら、きちんとお金を得ているので、間違いじゃないんですよね。

こうやってノートを売っていたのが、ボクの所属事務所の代表取締役。ボク、それを聞いて思いましたよ。だからこうやって経営ができるんだ、と。

お金の稼ぎ方、商品の売り方を、こういうシーンからも経験値を得ている。だから、商売や経営ができるんだ。

ボクは逆に、きちんと Word でタイプししたノートを友達にタダであげてました。

それが孫コピー、ひ孫コピーっていうふうに、たくさん渡ってると思うんだけどね。ボクはそういうタイプ。

代表取締役は違うんです。自分はノートを取らず、他人からもらって、売って、金を稼いだ。ボクは無料で配った。ここに商才の違いがある。商売やれるのはこういうふうに、金の流れが分かっている人。

信用を担保に商売する、という方法

ただ、最近は金の稼ぎ方がちょっと変わってきてて、売り物を並べるのではなく、その人の評価でお金のやりとりが生まれるっていう時代にもなってきつつあります。評価経済っていう言い方もしますかね。

要は「この人に信頼があるから、この人のためにお金出してあげようか」とか、その人の言ったことに乗っかってみる、ということでお金が動く社会です。

つまり、信用があればお金を得ることも夢じゃない、そういう時代になりつつあります。

あの時、後ろめたく思うことなく商売していれば……

まあ、そこまで深く考えなくても、ボクだって大学当時、きちんと信頼を集めていれば、ノートをあげて、代わりにごはんをおごってもらうこともできた……はずなんだけどねえ。

当時のオリデさんにはそういうコミュニケーション能力がなかったんです。

社交的な友達に渡したノートはいろんな人の手に渡って、その人が感謝され、おごられたり儲けたりしたんでしょう。そんなふうなんだろうなーって分かっていても、ボクはなにもしなかった。

あの時に「なんかおごってよ」って言えなかった。ノートを1部いくらで売れなかった。そういうことを大学時代にやってなかったので、今お金に困っている自分がいるんですよ。25年くらい経ってようやく分かった。

小さい時から、お金に対しての教育を受けていれば、金を稼ぐということの面白さや大変さや素晴らしさを知ったり、金を稼ぐことに対する後ろめたさがなっていたんじゃないかなあって思うんです。

ノートを作ってからほぼ四半世紀、その教授が講義の内容を変えていなければ、今もテスト対策ができる。ひょっとしたら、今でも出回ってるんじゃないかなあ。

おーい! 大学で「古いなあ、コピーにコピーを重ねてるなあ」というノートがテスト前に出回ってるんだったら、それ、ボクのだから! 利子つけて金くれ!