いつの頃からか、自分の中にもうひとりの自分がいる。そいつが冷静に、自分を見ている。たぶんもう、こいつは一生消えないんだろうな。

ラジオでしゃべっている時も、もうひとりの自分が自分を演出し、間をコントロールしている。大先輩からは「当たり前だ、それができなくてどうする」って言われそうだけどね。

表現者はどこか、観察者の眼がないと難しいのかもね。ある漫画家は、海で溺れかかっている人をじっと観察したことがあったそうだ。人はこういう時に、どういう表情をして、どういう体の動かし方をするのかを自分の頭に叩き込んでいたんだろうね。

表現者はある時、残酷になる。その感情表現を自分のものにするために、じっと観察する。その時は、もうひとりの自分が冷静に脳内にメモをとっている。

経験したことを表現の引き出しに入れておいて、それが必要な時にひっぱり出してくる感覚。例えば、理論的には株価が下がるはずなのに、一向に下がらない。含み損が増えていくことへの焦りやプレッシャー、そして、読みが当たって膨大な利益が生まれ始めた時の喜びや開放感を表現する時、それに近い感情をひっぱり出してきて、演技する。映画「マネー・ショート」のあのシーンは、そうやって生まれたんだろう。

いろんな経験をした方が有利だよ、ということを駆け出しの頃に言われたけど、今はその意味が分かる。本気でこういうことをしたければ、普通を追いかけているだけじゃダメだ。

あれ、これって、なんの話だったっけ?


イヴァナ・チャバックの演技術:俳優力で勝つための12段階式メソッド