109シネマズ名古屋で「のみとり侍」を観る。これ、深いメッセージがあるんじゃない? 女性の社会的地位と、今の社会と。

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映画「のみとり侍」公式サイト

越後長岡藩藩士の小林寛之進(阿部寛)は藩主の気分を害してしまい、表向きは猫ののみとりを商売にしつつ、実態は床で女性の相手をする裏稼業「のみとり」を命じられる。長屋で暮らす人々の助けを借りながら新たな生活を始めて、間もなく出会ったおみね(寺島しのぶ)が、最初の「のみとり」の相手となる。亡き妻にそっくりな彼女にときめく寛之進だったが「下手くそ!」とののしられ、伊達男の清兵衛(豊川悦司)から女の喜ばせ方を学んで腕を磨いていく。

引用元:のみとり侍 (2018) – シネマトゥデイ

エロさの奥にある、女性の社会的地位への問いかけ

R-15指定。それもそのはず。女性を喜ばせる男性の話なので。そんなシーンも出てきます。

これはエロい! これはエロいぞ! と思って観てたんですけど、だんだんそれだけではないものを感じました。現代社会においての女性の社会的地位、って言うのかな。

男女平等、とはいえ、日本はまだまだそういう感じではない。女性だって、男性と同じような権利があるべきだ。

「のみとり」という職業を通して、女性だって男性と同じようなことをしてもいいんじゃないか、って思いましたよ。この職業が社会的にいいのかどうかは別にして。

とことん追い詰める社会への問いかけ

あ、そういう「社会的にいいのか」ってことをどこまで追い詰めるべきなのか、ってことを考えるようにもなっているのかな。

最近の日本の社会はあれやっちゃダメ、これやっちゃダメ、けしからん、不謹慎と言われる時代。

こういう職業は、社会的にはいけないこと、後ろ指をさされることかもしれない。でも、だからといって社会的に抹殺をしてもいいのか、とことん痛めつけてもいいのか、っていうと、どうなんでしょうねえ。行き過ぎる、ってこともある気がするんです、最近は。

性に限らず、社会的な寛容さってのが少なくなってきているけど、もうちょっと寛容でもいいんじゃない? っていってる感じもしました。

今の時代につくられたからこそ、光るものがある

なぜこの作品が今映画化されたのかを考えると、今の日本もそういうものが求められているからじゃないでしょうか。

この作品、のみとりを頼む女性もいろんなタイプや世代がが出てくる。決して若い女性だけが求めていたっていう描き方ではないんです。なんか平等だなって感じました。こういうことに、若いも若くないも、ないもんね。

そんなことより、裸ですよ、ハダカ!

意外と社会に向けてのメッセージがあると感じました。まあ、そんなことを考えずに「阿部寛すげー! トヨエツかっこいいー!」って観るのもいいけどね。豊川悦司さん、阿部寛さんの美しい肉体を観られるだけでも、いいかも。