中川コロナシネマワールドで「この空の花 ―長岡花火物語」を観る。長岡花火に込められた思いを知った。

映画『この空の花 ―長岡花火物語』

 天草の地方紙記者・遠藤玲子(松雪泰子)が長岡を訪れたことには幾つかの理由があった。ひとつは中越地震の体験を経て、2011年3月11日に起きた東日本大震災に於いていち早く被災者を受け入れた長岡市を新聞記者として見詰めること。そしてもうひとつは、何年も音信が途絶えていたかつての恋人・片山健一(髙嶋政宏)からふいに届いた手紙に心惹かれたこと。山古志から届いた片山の手紙には、自分が教師を勤める高校で女子学生・元木花(猪股南)が書いた『まだ戦争には間に合う』という舞台を上演するので玲子に観て欲しいと書いてあり、更にはなによりも「長岡の花火を見て欲しい、長岡の花火はお祭りじゃない、空襲や地震で亡くなった人たちへの追悼の花火、復興への祈りの花火なんだ」という結びの言葉が強く胸に染み、導かれるように訪れたのだ。こうして2011年夏。長岡を旅する玲子は行く先々で出逢う人々と、数々の不思議な体験を重ねてゆく。そしてその不思議な体験のほとんどが、実際に起きた長岡の歴史と織り合わさっているのだと理解したとき、物語は過去、現在、未来へと時をまたぎ、誰も体験したことのない世界へと紡がれてゆく━━!

引用元:映画『この空の花 ―長岡花火物語』

最初、この映画とボクの呼吸がうまく合わなかったんです。セリフの間やトーンが「あれ?」って感じで。でも、いつの間にかぴったり合うようになりました。それはたぶん、映画の中で長岡の歴史をボクが徐々に知っていったからでしょう。

長岡花火の意味がこんなに大きいものだとは知らなかった。夏の風物詩だね、きれいだね、だけではない意味を知ると、見え方が違う。その意味をしっかり捉えるために、丁寧に時間を使って語られる長岡の歴史。だから、クライマックスの花火が心にズシンと届く。そして、追悼の花火が未来を生きていくための明かりにも見える不思議。アメリカのとある場所で花火を打ち上げたい、というシーンが、ボクをそんなふうに思わせました。

長岡花火を現地で見ると、哀悼の思いがいっそう強く見えるんだろうな。ほかの地域の打ち上げ花火の見え方も変わってきそうだなあ。