どうも、はじめまして。D-connectionにゲスト投稿者として参加することになった者です。
 とりあえず、今回はテストがてら、以前にとあるクローズな掲示板に投稿した文章を載せてみます。

 学校で習わされた数々のへんちくりんな書き順。その根拠はいったいなに?って話です。
 ま、既に知ってる方も多いとは思いますが。


 「必」という字の書き順について。
 僕が小学校のころは、こう習いました。
図:1  
 これは、間違えやすい書き順の筆頭クラスで、テスト、入試等でも好んで出題されるみたい。
 で、うちのおかんに聞いてみると、こうだと言う。
図:2
 おかん曰く、「『必』という字は心にたすきをかけると書く。それに、そんな変な書き順(図:1)じゃ字形がうまくとれない。」
 が、当時小学生で狭量な僕は、「だって学校で習ったんだもん」の一点張りで、おかんの言うことに耳を貸さない。
 ちょっと前、TVかなんかで、昔は(図:2)と教えていたが、今は(図:1)と教えていると聞く。
 要は両方正しいらしい。
 それを見て得意満面のおかん。
 衝撃の事実に震撼する全米と僕。
 そこそこ丸くなったので幼少の非礼を平謝りする全米と僕。
 そして湧き上がる全米と疑問。
 
 書き順というのは美しい字形を成すために習うものじゃないの?
 なのに、学校で習う書き順が変わるってどういうこと?
 じゃあ、書き順の根拠っていったい何?
 それはさておき、そもそも、全米って何?
 
 そんな疑問を抱きつつも放置してたんだけど、最近またムラムラと気になりだして、調べてみた。
 で、いろいろと調べては、新たな疑問が沸いてきて収集がつかないのですが、とりあえず、このページがよくまとまってました。
 いわゆる「正しい筆順」の幻想
 先の疑問をまとめると、
 現在の学校教育での書き順は、1958年(昭和33年)に文部省から出された「筆順指導の手びき」に拠っています。
 書き順の根拠として、機能性、字源、行書があげられます。
 震撼は全米の枕詞です。
 
 そして、この筆順指導の手びきにおいても、他の書き順を否定するものではないとの断りがされております。
 結局、筆順の紛らわしいものを狙って重箱の隅をつつくような問題をテストに出すことに、なんら根拠はありません。
 昭和55年以降、この手引によらなくて良いことになってるそうですが(とここに書いてあった)、書き順関連のサイトを巡る感じでは、学校などでは、未だにこの手びきを根拠に珍妙な書き順を強要している模様です。
 小学生の4割が「天動説」とか言われても、「まぁ、ゆとり教育の影響で、コマ数少なくなってるし、知らなくても生きていけるし、他に教えなければいけない重要なこともあるわけで、優先度としてはちょっと落ちるので、しょうがないかなぁ」などと思っていましたが、そんな貴重な学習時間をこんなどうでもいいことに割いているのかと思うと、ちょっとやるせなくなってきます。
 マークシートなどの客観問題が入試の合理化のため主軸になってきてしまい、客観問題として一意に答えが出る出題が好まれているのが問題なんだろうと思います。
 
 その辺については、調べてみると、憤りを感じている方は多かったみたいです。
 ばかげた筆順の強制
 まあ、文部省批判は他の人に任せて、話を続けます。
 ちなみに「必」という字の字源は、
 武器にする木の枝を折れないようにきつく外から竹を巻きつける形。きつく締めることから「かならず」の意味になった。(「小学学習漢字辞典」旺文社より)
 象形文字はこんな感じ。(上記本を見ながら適当に書いた)
図:3
 これらを見ると、どうやら「必」という字は字源を根拠に、木の枝に巻きつけていくような書き順が手びきでは採用されていると推測されます。
 ちなみに漢字発祥の国、中国では、どんな感じかというと、国で定めた筆順というのは存在するのですが、割と字形に沿った機能的で類推が効く筆順になっているみたいです。
 日中の書き順
 では、「必」の字はどうなっているかというと、上記サイトによるとこんな感じ。
図:4
 単純に左から右って感じで、なるほど合理的。実際手を動かしてみても字形は取りやすい。
 以下、調べている中で目に止まったけど、内容に盛り込めなかったページを順不同に紹介。
 「りっしんべん」と「小」という字は、なぜ書き順が違うのですか?
 類推のしやすさという観点なら同じにするべきかもしれないけど、字形の整えやすさからすると違った方がいい。その辺は確かに難しい。 
 左利きの筆記具の持ち方と筆順の問題
 僕自身、箸や鋏は左なのですが、書道とそろばんは習い事の中で右に矯正されました。
 左利き用の筆記体系を構築することが無意味だとは思いませんが、個人的に可能であれば、矯正したほうが楽だよなぁというのが、矯正組の感想。
 世界は右利きの為に作られていて、左利きの人間はちょっとしたことに不自由を強いられています。
 とはいっても、ほとんどは、「駅の自動改札に切符を入れるときに右で荷物持って、左で切符持っちゃったので手をクロスしなきゃいけなくってさぁ」程度の愚痴で済むのですが。
 その辺、少数の為に公が際限なくコストを払うのもヘンだし、少数は血のにじむ努力をしてなにがなんでも多数派に合わせるってのもヘンで、お互いが歩み寄るのがベストなんですが、その落としどころはケース・バイ・ケースでなかなか難しいんだろうなぁというのは他の話にも拡張できる感じ。
 左利き程度の軽いハンディを持っていると、そうした相対的にモノを見る感覚が養われるのかもしれません。
 とりあえず、ユニバーサル・デザインって言葉は寝言だと思う。
 など、左利きの話をはじめると長くなりますので、この辺にします。
 
 結局、筆順はその人の覚えやすさ、書く速さ、字形の整えやすさなど、目指すポリシーに従って、選択すればいいみたいで、場合によっては独自に編み出すのもアリみたいです。