「3」っていうのは安定した数字です。カツ・レツ・キッカ、テツ・ウツ・キネ、と語呂もいい。…それは語呂のいいものを選んでるだけじゃないか。メルキオール・バルタザール・カスパーなんて、決して語呂はよくないぞ。

今挙げたものがすべて分かる人はボクと感性が合ってるかもしれませんが、それは今から書くこととは何の関係もない話。毛利元就の三本の矢の話にもあるように「3」は強い数字、ちょっとやそっとじゃ崩れない数字なんですよね。

「2」だと、どっちかが崩れたら負担はひとつに掛かり過ぎる。「3」なら、どっちかが崩れてもまだ負担は分散する。「3」の安心感は「2」とは比べものにならない。

二足のわらじを履くような生活を送ってると「こっちがコケても、こっちでいけるかな」というゆとりが生まれます。二足のわらじを履くって言っても、別にボクの足が4本になったわけじゃありません。「手と足にわらじを履いて、二足だ」だとしても、手だとわらじを「はめる」ですよね、どっちかって言うと。

そのゆとりを安定したものにするには3本目の矢が必要だな、とも思うようになりました。二足のわらじでしっかり大地を踏みしめているからこそ、3本目は自由なことを求められる。田口と磯村が安定しているからこそ、レアンドロ・ドミンゲスが自由に動けるんですよね。

調子が上がってきた名古屋グランパスのたとえを出して、いったいどれだけの人が分かるんだろうか。あ、そうか、ウツ・キネが安定しているからこそ、テツの超人ぶりが発揮できるってたとえればいいのか。いや、TM NETWORKで例えても余計分からなくなるだけだ。自分でも思うよ、うまくないたとえだって。

結局何が言いたいかっていうと、ボク、ちょっと3本目の矢を狙いにいこうかなと思って。自分がやりたかったことをもう一回思い出そうかなと思ってます。先日東京に行ったことがずいぶん刺激になりました。

久しぶりに書くこの文章も、ラジオのフリートークのように思い浮かんだままの文体で書いてます。懐かしいなあ、分かる人にしか分からないたとえを出す、この感じ。前はこんなふうに自由に書いていたんだよなあ。いつの間にか書いてはいけないルールを自分で勝手に作ってしまっていたんだ。オトナになってしまったのかなあ。

武田鉄矢さんが「僕はいつごろ大人になるんだろう」と歌っていましたが、鉄矢さん、ボクはいつの間にかオトナになっていたようです。ところで、名曲「少年期」は武田鉄矢さんが36歳の時の作品。あー、ボクはその歳も超えてしまっていた!