大事に使うということと、キズひとつなく使うというのは、違うと思う。

iPhone7 が発売になりました。新色のジェットブラックは使っていると光沢に微細な磨耗が生じる恐れがあるそうだ。

また、指紋もつきやすいそうだ。気になる人はカバーを使った方がいいかも。

ハダカの iPhone 使い

ボクはiPhone7 を買う予定はありませんが、今使っている iPhone6s Plus はカバーをつけてません。一年になりますが、後悔した落とし方をしたのは2回。

本体を買う時にカバーを検討したんですが、意外と高いんですよね、あれ。それに、ボクの使い方をだと iPhone からの発熱がすごくなることは想像できたんで、カバーをつけてると熱が逃げないだろうなあと思ったんです。

ハダカの iPhone 使い、すごく緊張しますよ。人に見られたら警察に通報されますからね…って、ハダカって、自分が?

当然、カバーをつけずにハダカで iPhone を使うってことですが、手が滑って落とすなんて最悪だから、強めに握る。数万円する高いものを大事に扱ってる感覚です。

いや、感覚じゃなくて、実際に数万円するんだけどね、iPhone って。2年かけて代金を払ってるからか、高いものだって感覚がなくなっちゃうんですよね。

形あるもの、みな壊れる。対等の立場で使いたい

さて、iPhone7 のジェットブラックをボクが買うとして、はたして磨耗を気にすることなく、指紋を気にすることなく使えるだろうか?

「形あるものはみな壊れるのだ!」と割り切って使えるかなあ。本当は、そういうことも含めて「使う」ってことなんだろうけどね。

服を買ったら翌日に袖を通すことも、平気。さすがにパンツは袖を通すことはありませんが。パンツに袖を通すって、いわゆる「前に習え」の姿勢の腕に、パンツが通ってるってことか?

そんなボクも、昔はモノに対して偏狭的に大切にしてました。小学生のころ、定規の端が欠けただけで烈火のごとく怒った…らしい。本人は忘れてるんですが、友達はそれをよく覚えてた。

このままだとまともな生活が送れなくなるかもしれなかったから、徐々に「形あるものはみな壊れる」と思うようにしました。そんなボクが、iPhone7 につくかもしれないこまかい傷を許すことができるか?

「生活の中でついてしまった傷も含めて、製品です。言ってみれば、それが『生活の中にあるアート』なのです」なんてことを、もうひとりのボクが言ってますが「下取り価格が安くなるよ」と言うボクもいる。下取り価格なんて、そんなに高いはずないのに、頭をよぎっちゃうんだよなあ。

「おアイフォーン様! きょうも私の生活をお守りくだせえ!」なんて崇め奉らずに、対等な立場で使いたい。使いこなすって、そういうことかなあ。