きのうと同じようなことを考えています。同じ台本でずっと練習していれば、それなりに読むことはできます。ただ、いつでも仕事ができるレベルかというと、そうじゃないんです。足りないのは表現力。そのスイッチを自分で入れてくれるまで、こちらはがまん。

簡単に言えば「自分で満足しているか」か「周りに伝えようとしているか」の違い。原稿と自分だけの世界から、原稿を取り込んだ自分と第三者、の世界ができなければ、表現として成立しない。それはテクニックだけではなく、気持ちが必要。

テクニックだけじゃないんだ、気持ちが大事なんだと気づいた人は、明らかに読みが変わる。気づけない人はこちらがアドバイスしてその時には完成させても、次の回には元通り。

いろんな所で読みを教えてるけど、ある程度できている人にははっきり「うまい」とか「直すところはない」って言っちゃってます。キャリアをある程度積んだ人にも、始めたばかりの人にも、平等に。でも、それはポーズの取り方とか、文節のつなげ方とか、そういうテクニックのことなんだよね。

そして、ボクはそのあとに「どう読みたいの?」とその人に聞くことがあります。楽しい雰囲気で読みたいのか、落ち着いた感じに読みたいのか、あるいはちょっと怒ったように読みたいのか。そこはボクが関わるところではありません。読む人が決めること。仕事の場合は原稿から感じ取る感情の方向性は決まってきますが、レクチャーの場合はその方向性は自由でしょう。そして、ほとんどの場合、その人が読みたいと思っていた感情のようには聞こえません。どのように周りに伝えたいのか、まで気が回ってないんですね。

伝えるためには、声の使い方を工夫したり、その気持ちになって読むことです。そして、それは原稿ごとに変わるものなので、原稿の数だけ、読み方があるのです。それは到底教えられない。なので、自分でコツをつかむしかないんです。

すぐに「うまい」って言っちゃうんで「私はもうできている」と勘違いする人もいるかもしれない。でも、必ずこのことをセットにして言っているので、鵜呑みにはしてないと思うけど…。ボクはね、優しいんじゃなくて、そちらが出来上がってくれるのをじっくり待っているんですよ。