今までになかった、新しい感覚がこれから生まれてくるのかもしれません。ソーシャルネットワークでサドンデスに遭遇した場合の寂しさ。

ソーシャルネットワークでやりとりしていた人が、それを止めてしまって連絡が取れなくなったということを聞くようになりました。止めてしまった人は事情があってのことでしょうが、逆の立場から見ると突然目の前からいなくなったように思います。

まるで、よく行くお店でちょくちょく顔を合わせていた人を見かけなくなってしまったような、ちょっと寂しい感じ。それを、突然の死、サドンデスと言ってしまうと言い過ぎかもしれないけど、突然終わってしまったという気持ちとこの言葉は通ずるものがあると思います。

今までありがとうございました、のあいさつをすることもあると思うんだけど、それを見落としてしまうこともありますからね。特に Twitter はその告知もどんどん流れてしまいますから、タイミングを逃したらそれを見ることがないですし。なので「最近見なくなったなあ」と思ってメッセージを送っても音沙汰なし、検索してもヒットせず、自分の目の前からぷいっといなくなったような寂しさを感じるのです。

ソーシャルネットワークはしょせん薄い縁なのかもね。それをどうやって濃くするかは別の手段で連絡を取ったり、実際に会いに行くことなんだろうな。ソーシャルネットワークの縁が切れていくというのはこれまで人類が経験したことがないだけに、どんな気持ちになるのか研究が進むかもしれないなあ。

あ、ボクがそういう寂しい思いをしたことが最近あった、ってことではないですよ。