伏見ミリオン座で「ゴッホ~最期の手紙~」を観る。どうせいろんな見方をされるんだから、あんまり気にしても仕方がないんじゃないかって思った。

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ゴッホ~最期の手紙~

ある日、郵便配達員ジョゼフ・ルーラン(クリス・オダウド)の息子アルマン(ダグラス・ブース)に、パリへ送付する1通の手紙が委ねられる。その手紙は父の友人であり、自ら死を選んだ画家ゴッホが弟のテオに宛てたものだった。ところがテオの居所を探しているうちに、彼がすでにこの世にいないことが判明する。

引用元:映画『ゴッホ 最期の手紙』 – シネマトゥデイ

ものすごく手間がかかっているぶん、独特の世界を表現した

役者が演じて、それを油絵で描いて、さらにアニメーションにして……って、どんだけ手間がかかってるんだという作品。この手間が、作品全体に不思議な効果をもたらしてまして。

ゴッホが描いた作品の人物や構図が現れるので、まるで自分もゴッホの作品の世界に入ったようだ。

人間にはいろんな面がある。それをあらためて思った

印象に残ったのは、人間って多面的だなあということ。いろんな人がゴッホについて語っているけど、人によってさまざまな話が出てくる。

ゴッホに限らず、人間って、こっちの角度からみたものと、違う角度からみたものでは違う印象を持つものなのだ。

たまに思うんだけど、自分とは仕事で会っただけだから、ビジネスパーソンとしての面しかみられないけど、友人にみせる顔はきっと違うものだし、恋人や妻、夫にみせる顔だって違う。父親や母親としての顔もそうだし、なんだったら子としての顔だってある。

「こんな嫌な人でも、愛情をもって育ててくれた親がいるんだよなあ」なんて思ったら、ずいぶん見方が変わる。これ、苦手な人とつきあう時に心に留めておくと、おもしろいかも。

ゴッホの死については謎が残っているけど、それを解明することもないんじゃないか、その人の印象は、実際につきあった人それぞれが持てばいいんじゃないかって思いました。逆に言えば、いろんな人の評判を気にしながら生きていかなくてもいいんじゃないかっていう。どうせ、印象なんて相手の気持ち次第でよくも悪くもなってしまうんだから。