今度公開される宮崎駿監督の作品「風立ちぬ」では、主役の声は庵野秀明さんが担当します。アニメ監督を手がける庵野さんが声優をするなんて、やりにくかっただろうなあ。

今、映画館に行くと「風立ちぬ」の予告編が流れることがあります。4分ほどの中で、庵野さんの声をひと言聞くことができます。第一印象は「こちらから聞こうという意識がないとすーっと流れてしまう声だなあ」というものでした。でも、作品をずーっと観ているとピタッと合ってくるんだろうなあ。

宮崎駿作品に庵野秀明監督が声の出演!29年ぶり仰天コラボ (デイリースポーツ) – Yahoo!ニュース

ジブリの作品は声優を使わないということでも知られています。ボクは、その効果で作品がふわーっとしてる感じがするなと思ってます。でも、声優っていう職業がいるんだから、もうちょっと使ってもいいのになあと思っています。

そんなことを思っていた時に、こんな記事を読んで「そういうことか!」と思いました。

宮崎駿は、声優のスキルについてどう考えているのか(エキサイトレビュー) – エキサイトニュース

宮崎駿は、そういった声優独特の「様式美」に不満を持っているのだろう。声優にスキルはいらないとは思っていないだろうが、定型になってしまったところに安住してしまうようなスキルなら不要だと思っているのではないか。

声だけでそのキャラクターが分かるような質感が欲しいんですね。声優のトレーニングを積むとどうしても画一的な声の確かさが生まれるから、それが気になる時もあるんでしょうね。誤解を恐れずに言えば、感情を伝えるのに滑舌はいらないんだろうなあ。ボクがジブリ作品をふわーっとしてると思ったのは、滑舌がパキッとしていないところにあるのかもしれない。

話はちょっと変わるかもしれないけど、高校で声優になりたい人に向けて教えていた時「高校生なのにうまいなあ」と思った人も何人かいました。ボクが教える必要ないじゃん、と思うくらいです。

ただ、それは好きなキャラクターをまねているんだろうなというのは感じました。なので「演出の要求に答えるのが声優の仕事になるから、いろんな演技ができるようになった方がいいよ」とアドバイスしてました。声優は声まね芸をする人じゃなくて、役者だからね。

声優も役者なんだから、勉強の中でスタニスラフスキー・システムを取り入れたことをトレーニングの中でしていると思うんだけど、嫌がる人もいるんだよね。アフレコのような実践的なことを早い段階からしたがるんです。

声の演技なんだから体の演技は必要ないじゃん、って思うんだろうなあ。声優の勉強をしている人の中には、そういう考えの人もある程度いるのは間違いない。たぶんそういう人は、プロになれないし、なってもすぐに「演技の勉強しておけばよかったなあ」と思うはず。

忘れちゃいけない。声優は役者。感情が先、滑舌はそれをサポートするに過ぎない…あれ、ボクは前に「演技より滑舌」って書いたぞ。あ、そうか、あの時は滑舌が演技をサポートするレベルにも達していなかったからか。