伏見ミリオン座で「嘘八百」を観る。嘘は熱意を生み、人を動かす。自分を鼓舞するのも、自分につく嘘だ。

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映画『嘘八百』公式サイト – 絶賛上映中!

鑑識眼はあるが、なかなかお宝に出会えない古物商の則夫(中井貴一)は、娘のいまり(森川葵)を車に乗せて千利休の出生地である大阪府堺市にやってくる。彼はある蔵つきの屋敷へと導かれ、その家の主人らしい佐輔(佐々木蔵之介)と出会う。佐輔は則夫に蔵を見せることにし……。

引用元:映画『嘘八百』 – シネマトゥデイ

嘘を信じ込ませるための熱意

嘘のつき合いは、意地の張り合い。荒唐無稽なものをいかに信じこませるか。

ありえない、と分かっていても信じてしまう。観てるこちらも、贋作だと分かっていても「あれ、ひょっとして、本物か……?」と思わせてしまうパワー。

それって、熱意なんだろうな。それが作品に乗り移ったものに、価値がつくのだろう。佐輔が作った陶器も、何かを感じたからこそ、価値がついたわけで。

まあ、「利休のです……!」というハッタリをかましているので、本来の価値以上になったけどね。それでも、そんなハッタリをかますことができたのも、熱意を持って作り上げたからだ。

自分がほれ込まなければ、価値は生まれない

白を黒にする、というのは言い過ぎかもしれないけど、自分がほれ込まなければ周りを認めさせることはできないよね。創作物に対して価値をどのようにつけるか、ということを垣間見た気がします。

佐々木蔵之介さん演じる佐輔が、まあ得体の知れない感じ。最初に登場してからしばらくは「ものすごく肩の力が抜けてるなあ」と思ってました、なるほど、ああいうことをするには変に力が入っていてはダメなのか。

力が入っていない、と言えば木下ほうかさん演じる、西田、ね。サラッとした口調で、やってることはとんでもない。ありえるか? という役柄でも、あの雰囲気だと、騙される。

陶器も人間性も、本物にみせるには、熱意と、それを隠すように包み込む自然さ、かな。人を不幸にする嘘はまずいけど、自分に自信をつける嘘ならいいかもしれないな。