ミッドランドスクエアシネマで「風立ちぬ」を観ました。初回だったんだけど、お客さんでいっぱい。公開2日目、日曜日だからかなあ。この作品の中でボクが印象に残ったシーンがひとつありました。

風立ちぬ 公式サイト

大正から昭和にかけての日本。戦争や大震災、世界恐慌による不景気により、世間は閉塞感に覆われていた。航空機の設計者である堀越二郎はイタリア人飛行機製作者カプローニを尊敬し、いつか美しい飛行機を作り上げたいという野心を抱いていた。関東大震災のさなか汽車で出会った菜穂子とある日再会。二人は恋に落ちるが、菜穂子が結核にかかってしまう。

引用元:映画『風立ちぬ』 – シネマトゥデイ

この作品、いろんな形で風を描いています。風自体は見えないものだけど、それを「もの」を使って表現しているんです。

その中でひとつだけ、ボクが「ありえないもので風を表現している」と思ったシーンがありました。それは、飛行機の翼に風が当たっているシーン。見えないはずの風そのものを描いている。

それは堀越二郎が見ているものだ、と思ったんです。彼は航空機の設計者であるので、風のことを常に考えている。設計段階や実際に航空機に乗っている時にも、見えない風があんなふうに見えているんでしょう。

と思ったのは「ボクには声が見えてるよなあ」と思ったから。もう何年もいろんな人に原稿の読み方を教えてきて、そのためにいろんな本を読んできましたが、そのうちに「声が見える」ってことが起きてきたんです。

それは、ドラえもんのひみつ道具「コエカタマリン」のように、あるいは映画「謎解きはディナーのあとで」で、宝生麗子が影山にクビを告げる時のように…ではありません。映画の予告編を探したけど、いいのがなかったので逆に分かりにくくなっちゃった。

その人の声が、どのくらいの面で出ているかってことなんです。顔全体の広さから出ているようだ、とか、体全体から出ているようだ、とか、レーザーのようにまっすぐ出ている、とか。ナレーションではマイクに声が乗ったほうがいいと思うので、レーザーのように出すことを薦めてます。

何のことだか分からない人ばかりだと思いますが、この作品の堀越二郎も風をこんなふうに見ていたんじゃないかなあ。航空機の設計者という「技術職」として、風のことをとことん知ろうとした結果なんじゃないかと思います。

堀越二郎の声が役者ではない庵野秀明さんを起用したことも、堀越二郎をより技術職っぽく見せるためだと思いました。ボクは声の仕事をしているので、どうしても気になってしまってその効果を感じることができませんでしたが、声のことをとことん知ろうとしているぶん、そのシーンで堀越二郎のキャラクターを捉えることができたのです。

…しかし、この作品はいろんな感想の持ち方があるだろうなあ。観た人にいろいろ感想を聞くのも面白そうだ。