伏見ミリオン座で「パターソン」を観る。人生のこのタイミングで観てしまったことに、ちょっと後悔。自分の人生が無意味なものだったんじゃないかと思う。いや、これ、すごく心温まる作品なんですよ。
ニュージャージー州パターソンでバスの運転手をしているパターソン(アダム・ドライヴァー)は、朝、妻のローラ(ゴルシフテ・ファラハニ)にキスをすることから始まる、変化のない毎日を過ごしている。そんな日々の中でパターソンは、周囲の会話やマッチ箱といった何げない物事に着想を得た詩をノートに書き留めていた。
何も起こらないようだが、それがいい
退屈ですよ、これ。ほとんどなんにも起こらない、と言っていい。朝起きて寝るまでの出来事を一週間つづる。映画になるようなドラマチックなことなんて、起こらない。
でも、これ、映画です。何も起こらないことがいかに素晴らしいことなのか、それがビンビン伝わってくる。というのも、幸せなんですよ、パターソンは。
観るんじゃなかった、と、観てよかった
そりゃ、退屈かもしれない。毎日同じことをしているだけかもしれない。でも、彼の周りには、妻がいて、語り合える人たちがいて、ひとりで想像の世界に潜って言葉を紡ぐ時間もある。
そこには、人とのつながりも、自分自身を見つめる時間もある。このふたつがあることが、どれだけ幸せなのか。最近それに気づいたボクは、観るんじゃなかったという気持ちと、観てよかったという気持ちが共存した。
観るんじゃなかった、というのは、嫉妬。ふと気がついたら、自分の周りには何もないという寂しさを感じた。もちろん、ボクが気づいていないだけで、何もないことはないんだけどね。ひとりで行動することが多い人は、ボクと同じようなことを感じるかもしれない。
観てよかった、というのは、何でもない日々が続くことがいいのだ、という温かい気持ちになれたこと。若い時期にこの作品を観たら、つまらないと思うかもしれない。
いや、パターソンの妻を演じているゴルシフテ・ファラハニをずっと観ていたかもしれない。この人と一緒にいたら、退屈はしないだろうなと思ったし。
自分が今まで積み重ねてきたものは無意味だったと思ってしまうのは、そばに誰もいないから。いや、いるんだろうけど、それが見えなくなってしまっているから。こういう心境になったのは、人間をまあまあ長い期間やってきたからかもしれないな。
要するにのび太くん
要するに、この作品は「あったかいふとんで、ぐっすりねる!こんな楽しいことがあるか。」ってことなんですよね。「ドラえもん」でのび太くんが言っていた、あれ。当たり前だと思っているもの、実は幸せなんだって思えるようになってきた。
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