映画「ドリーム」の冒頭で、幼い頃のキャサリンが数学の問題を解くというシーンがあります。その内容は日本の高校数学に匹敵するもので、きちんと勉強していれば解ける内容……だったと思う。
なにしろ、こっちは数学の能力は低いですからね。高校に入学した年の4月で、もうついていけなくなったもの。「ドリーム」のそのシーンを観て「うん、そういう理論で、この方程式は解ける……よね?」というくらいのぼんやりした理解しかができなかった。
それでも、そういう考えができるってことは、数学の考え方は多少身についているってことでしょうか。数学の本来のおもしろさであるところにたどり着く前に、基礎的なところでわけが分からなくなってしまったのは、今振り返ると残念だ。
高校数学が全く分からないボクは、数学を扱っているシーンに憧れる
問題を解く前に、どういう式を立てるのかが分からなかったもんなあ……。足したり引いたり、掛けたり割ったり、の四則計算は中学までに習った方法でできるんだけど、公式を使うようになってくると、もうダメ。
ボクが高校で数学を扱えるようになっているためには、まず公式を叩き込むところから始めないといけなかったわけだ。授業ではそこのサポートがないままだったので、もう迷うしかなかった。それとも、それは家で勉強してきて、使えるようにしなきゃいけなかったってこと? そうか、予習が大事だったか……。
高校数学では式を立てられなかった、だからテストの点数が悪かったボクですが、数学の考え方を身につけるのが学校で教える数学だ……と、思っているんです。そういうものの見方ができると、映画「ドリーム」で描かれた数学の世界にたどり着くんだろうな。
「宇宙船はどこに落ちるのかね?」「計算では……この地点に落ちると予測できます」おお! カッコいい! いや、人の命や国家プロジェクトの命運がかかってるんだから、カッコいいだけじゃ困るんだけどさ。正しい見立てであれば信頼できる予測が立てられるんだから、数学はすごい。
数学はきっと、人間が持つ自由な発想をいったん縛る学問なのだろう
数学はただ式を解けばいいという学問じゃなくて、それを導くための筋道を考え、それを数字で現す学問。だから、算数のテストで議論になる、掛け算の順番についてもこっちが正解で、こっちがダメ、という理由があるのも、ボクは納得せざるを得ない。人間の発想をいったん縛って、数字の世界でものごとを考えないといけないんだろうな。
2×3も、3×2も、結果は6だ。でも、2を3倍するのか、3を2倍するのかは、違う。何を何倍するのかを把握しなければいけないのだ、きっと。
自分がコンピューターになったとしましょう。「2」という数字がある。「3」という数字がある。「このふたつを掛けて」って命令が出た時、どっちを先にして、どっちを後にするかが分からないと掛けられないよね。……いや、掛けられないんですって! きっと! 素直に掛けられちゃうのは、どっちを掛けても一緒だという知識が入った、人間の考え方だからですよ!
うーん、こういうことをきちんと説明できるのも、数学のセンスがあるかどうかなんだろうな……。ものごとを数式に当てはめて、ボクには見えない世界を見ている人たちは本当にうらやましい……。
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