TOHOシネマズ名古屋ベイシティで「シェイプ・オブ・ウォーター」を観る。今の時代だからこそ共感できる、不思議なストーリー。
1962年、米ソ冷戦時代のアメリカで、政府の極秘研究所の清掃員として働く孤独なイライザ(サリー・ホーキンス)は、同僚のゼルダ(オクタヴィア・スペンサー)と共に秘密の実験を目撃する。アマゾンで崇められていたという、人間ではない“彼”の特異な姿に心惹(ひ)かれた彼女は、こっそり“彼”に会いにいくようになる。ところが“彼”は、もうすぐ実験の犠牲になることが決まっており……。
水の描かれ方が印象的。対象的な人間の描かれ方
「シェイプ・オブ・ウォーター」というタイトルが現しているかのように、水の映像が印象的。水ってひとつの形にならないから、それはもういろんなタイプの描き方がありました。
壁に反射する水のゆらめきとか、バスの窓につく雨粒とか。もちろん雨とか川とかも。ひとつの形にとどまらない自由なたたずまいと比較できる、社会に閉じ込められた人間の不自由さ。
白人がまだ社会的に上という空気が残っていた1960年代。ハンディキャップを背負っているとか、肌の色が黒いということで、あからさまではないけれども、差別される。自由な水と不自由な人間の対比が見事。
イライザとゼルダを冷ややかに扱うストリックランドだって、実は本来の彼自身の姿ではないと思ったよ。60年代アメリカの白人男性社会の中で、一生懸命ロールプレイをしていた。
社会的マイノリティーからのメッセージでもあったり、社会に縛られた心を開放するとみえてくるピュアな愛だったりと、不思議なストーリーやシーンの中にあるテーマは、今の時代を描きとっているよね。
あの“彼”の姿は、さすがギレルモ・デル・トロ監督
そう、不思議なストーリー。この「人間ではない“彼”」の姿が、さすがギレルモ・デル・トロ監督。予告編では正面からの姿はないので、どんな顔か分からないんだけど、この顔がね、いいんですよ。
思わず「あれ、カッコいい……?」と錯覚する姿。いや、カッコいいかもしれない、あれは。あるいは、かわいいかも。リアリティを考えながら、グロテスクにはならないという造形は監督の手腕だろうな。
「水をこんなふうに使って、こういうシーンを撮ったらカッコいいよね! キレイだよね!」という監督の発想から生まれているであろう、風呂場でのシーン。その愛の表現は「おおう、いくとこまでいったなあ」と思ってしまった。あんなにたまるもんかね、水って。
でも、それだって監督の発想が映像化されたんだろう。ここにも、社会に縛られない自由なものづくりの精神が現れているのかもね。大人の事情を聞き分けない、いい意味での子供の精神。
2010年代の後半に残るべき作品だし、アカデミー作品賞を取ったのも今の時代にマッチしたものをみんなが感じたからでしょうね。
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