109シネマズ名古屋で「空母いぶき」を観る。そのリアリティに現実だと思いこんでしまうけど、これはフィクションだ。フィクションだからこそ、こういう結末が描けたのだ。
20XX年。日本最南端沖で国籍不明の漁船20隻が発砲を開始し、波留間群島の一部を占領して海上保安庁の隊員を捕らえる。日本政府は、航空機搭載護衛艦いぶきをメインにした艦隊を派遣。お互いをライバルとして意識してきた航空自衛隊出身のいぶきの艦長・秋津竜太(西島秀俊)と海上自衛隊出身の副長・新波歳也(佐々木蔵之介)は、この未曽有の事態を収束しようとする。
日本は戦争はしない。戦闘はする。これがどういうことなのか、ひとつひとつのシーンで描かれている。
過剰な戦闘は、戦争につながる。やり過ぎないように、ギリギリの選択を常に迫られている。この判断が、実際の現場では瞬時に行われるんだろうなあ。
世界がみている中、日本の主張通りにものごとを運んでいかなければいけない。そのやり方を、世界が注視している。そんなふうに進むストーリー。やり方を間違えたら、大義名分が相手側にいってしまう。日本としてはそれは絶対に避けたいところだ。いや、これは世界各国がやっていることだ。世界や世論を味方につけることを。
世論を味方につける、と言えば、この作品は実際の世界ではありえないと思うことが起こっている。そこが、この話はフィクションであることを物語っているかのようだ。
だから、こんなに都合よくものごとが進むはずはないと思っても、それは意味のないことだ。フィクションだもの。でも、そのくらい「実際に起こったら……?」ということを考えずにはいられない作りになっているってことなんだよなあ。
ボクは、実は影の功労者って、広報担当の自衛官だったんじゃないかって思ってるよ。マスコミに対してあんなにひょうひょうと対応できるのは身内としては心強いし、何より「きつく言っておきました」というセリフには、グッときたね。なんて相手のことを考えた言い方なんだ、って! まあ、それもフィクションがなせることだと思うけど。
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