栄のセンチュリーシネマで「ソウル・サーファー」を観る。当たり前のようにサーフィンのある生活に戻っていく強さや、彼女でしか伝えられないことに心を打たれる。
ベサニー・ハミルトン(アナソフィア・ロブ)はサーフィンをするために生まれてきたような少女だ。カウアイ島で両親と二人の兄に囲まれて暮らし、母から「マーメイド=人魚」と呼ばれるほど時間さえあれば美しいハワイの海に飛び込み、幼なじみの親友アラナ(ロレイン・ニコルソン)とともにプロサーファーになることを夢見ている。もちろん、ハミルトン一家は全員がサーファー。優しい父トム(デニス・クエイド)も愛にあふれた母シェリー(ヘレン・ハント)もベサニーの夢を応援し、兄のノア(ロス・トーマス)とティミー(クリス・ブロシュ)の存在は彼女の勝ち気な性格に一役買っていた。地方コンテストに出場すると、ライバルのマリーナ(ソーニャ・バルモレス・チャン)の激しい競争心をものともせず1位となり、彼女とアラナにはスポンサーの話が舞い込んでくる。夢が叶うのはもうすぐそこ。ベサニーはサラ(キャリー・アンダーウッド)が率いる教会の活動にも参加し、ハロウィンの夜にはこっそりナイト・サーフィンに出かけるなど、楽しく幸せな日々が続いていた。
ところが、さらなるコンテストに備え、アラナとアラナの父ホルト(ケヴィン・ソーボ)と練習に出かけた朝、思いがけない悲劇がベサニーを見舞う。サメに襲われ、サーフボードごと左腕を噛み取られてしまったのだ。ホルトが応急処置を施し、すぐに病院に連れていったこともあり一命をとりとめたが、もう二度と元には戻れない。この事件は大きなニュースとなり、メディアが押し寄せてきた。戸惑い、不安に悩みながらも片腕の生活になんとか慣れようとし、許可が下りるとすぐにまたサーフィンを始めるベサニー。家族はそれを支え、心配しながらも温かく見守っていた。
だが復帰して最初のコンテストで、ベサニーは思うような結果が残せず、絶望の中で一度はサーフィンと決別するのだが—。
実際は片腕を失ったことによる心の落ち込みや葛藤があったかもしれないけど、この映画では最小限に描かれている。そんな簡単に決められることなの? とも思えるけど、それが「当たり前のように自分にとって普通の生活に戻っていく」強い心として見えてくる。
ベサニーは一度サーフィンと決別した時にある行動をとるんだけど、そこのシーンは取りようによっては「人の心になんてズカズカと入っていくんだ!」とも見える。けど、片腕のないベサニーだからこそあの行動が意味あるものになってるんだよね。ただ、これはしょうがないけど日本人にはどう見えるか…。
しかし、なんであんなに当たり前のようにサーフィンに戻っていくことができたんだろう…。やっぱり、それが生活の一部であったからなんだろうなあ。仮に自分が体の一部を失ったとして、今の生活に戻ってくることができるんだろうか。
ベサニーの力強さを見ていると、自分にも勇気をもらえるような気になってくる。もう一回観たいなあ。…あ、違うな。きっと観たいのはサーフィンをしているベサニーとかアラナとかマリーナが観たいんだろうな。特にマリーナが観たいんだろうな。
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