ロンドンオリンピックが開催中ですが、原稿読みはフィギュアスケートに似ていると思っています。夏のオリンピックに関係ないじゃん…。
原稿読みがうまい人って、いろいろあると思います。まず、声がいい人。そして、感情が入っている人。大きく分けて、このふたつかな。
テクニックは直接関係ないと思います。ナレーションを聴いてて「おお! この二重母音をうまくクリアした!」とか「わあ! 修飾・被修飾の関係が難しいこのフレーズを絶妙なポージングで読みきった!」なんてゾクゾクしてる人は、たぶんあんまりいない。ひょっとしたらボクぐらいじゃないかなあ。
ほとんどの人はどこがうまいのか、説明できないと思います。その、よく分からない人が「なんかいいなあ」と思うのが、フィギュアスケートに似ている気がします。よく分かっている人はどこがいいのか説明できるところも。
フィギュアスケートもそうだろうけど、原稿読みも基本はちゃんとできないと表現できません。それが滑舌とか、アクセントとかになります。でも、うまいと思うのはそんな所よりも、全体のバランスによるところが大きい。
そして、それが表現できるようになるのは感受性が必要だし、人間的な成長も必要。読みの基礎ができている人は、読むことから離れることでうまい読み方ができるという、なんだか矛盾していることが起こるのです。
毎週のレクチャーで「きょうはうまいね。何かいいことあった?」ってこと、あるもんね。表現は自身の精神に影響されるってこと、最初は分からないんだよね。
コメントを残す