午前、高校で講義。ふと思ったんだけど、ボクが教わっていた頃に比べて、基礎の内容も違っているんじゃないだろうか? ひょっとしたら、声出しのレベルから、根本的に見なおさないといけないんじゃないだろうか?

音響機材の進歩がありますからね。数十年前ほどに比べて演者が「大きな声を出す技術」はいらなくなってるのかも。ミュージカルで演者が目立たないヘッドセットマイクをつけているのを見てビックリしたのは、もう十数年前のこと。それだったらもう、発声練習はいらないじゃんって思ったよ、正直。

でも「滑舌よくしゃべる技術」は、今でも必要だと思います。いくらマイクの性能がよくても、言葉を滑舌よくしてはくれないからね。その一環で声量を上げるトレーニングは必要ですが、声帯に負担をかけるような発声練習はどうかなあと思ってます。

また、今教えている高校1年生の中にもうまい人はいて、さすが声優を目指しているだけあると感心しています。なので、発声や滑舌よりも、どうやったらよりはっきりと自分の感情が伝わる声の出し方ができるか、そして、相手との関係性がより明確になる間の取り方の研究に講義の時間を割いてます。

いろいろ練習をしてきて後から振り返ってみると、なんだこんな道になってたんだと分かるんですが、そこを歩いていた時には見えないんですよね。この年になってくると、後輩には「こんな道になってるから、こういう装備をしていた方がいいよ」ってことを教える立場になってきているんでしょうね。

それを教えてもらっても、自分のものにするかどうかは本人の練習や研究次第なのです。自分がいく道の様子を知って、自分で装備をそろえていけば、ちょっと速度を出して基礎を習得する道を駆け抜けていくことができるんじゃないでしょうか。