映画「許されざる者」を、109シネマズ名古屋観ました。観終わってから、タイトルの「許されざる者」について、何から許してくれないのかということを考えました。「運命、そして周りの人」かなあ。
1880年、開拓が進む江戸幕府崩壊後の北海道。人里離れた土地で子どもたちとひっそりと暮らす釜田十兵衛(渡辺謙)だが、その正体は徳川幕府の命を受けて志士たちを惨殺して回った刺客であった。幕末の京都で人斬(き)りとして名をとどろかせるも、幕府崩壊を機に各地を転々と流れ歩くようになり、五稜郭を舞台にした箱館戦争終結を境に新政府の追手をかわして失踪。それから10年あまり、十兵衛に刀を捨てさせる決意をさせた妻には先立たれ、経済的に困窮する日々を送っていた。そこから抜け出そうと、再び刀を手にする彼だが……。
あの頃の気持ちが、火種のように残っていたのかも
十兵衛が再び刀を手にとった理由は貧乏から抜け出すためではあったとは思うけど、人斬りの頃の気持ちが火種のように残っていたのかもしれない。あの頃のようにもう一度、とは思わなくても、一度経験したことを捨て去るには相当の覚悟が必要だ。
そして、火種が明かりのようになることもある。一度経験したものを完全に捨てることの難しさって、こういうこともあるんだよなあ。
「許されざる者」は、何を許してくれなかったのか
何から許してくれないか、について、ボクは「運命、そして周りの人」だと思いました。それまでのことから足を洗って完全に生まれ変わるのは、運命と周りの人が許さない。そして、そのふたつは自分が作り上げてきたものだ。
十兵衛が怖い理由について
もうひとつ思ったのは、憎しみは別の憎しみを生み出すということ。引くことはできず、とことんまで行ってしまうんだよなあ。そして、親友の馬場金吾が十兵衛を怖がっていたのも、十兵衛が飲み込んできたいろんな気持ちをそばで見てきたからなんだろうな。
この作品のストーリーを想像すると、クライマックスはたぶんああなるだろう…って思うでしょうね。たぶん、それで合ってます。でも、そのシーンはボクは決して痛快ではありませんでした。むしろ苦しいくらい。十兵衛はその時、人斬りだった頃のように人間の暗い部分を全部背負っていたように見えました。だから金吾は十兵衛が怖かったんでしょうね。
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