「『メジャー』を生みだす」という本を読んで考えた。ボクの考え方は古くなったのだ。メジャーに訴える表現をするには、これではダメなのだ。
よく採られているのが、コアターゲットを決めて、そこに確実にアプローチしていく方法を取っていくマーケティング手法。でも、それはいつの日が市場の枯渇を招くとのこと。確かに、新規流入者の見込みがないもんね。
マイナーを狙っていく方法を否定するわけではないけれど、こういうことをやっている以上、やっぱりメジャーを狙わなければ。じゃ、今の大多数が感じている気分ってどういうことなんだい…という時のキーワードが「自己承認」。
先行きが見えない中、自分が何者であるかもハッキリしない現代。そういうぼんやりした自分に寄り添ってくれる作品が求められているようだ。
そして、それだけではバランスの悪い人間になってしまうので、クリエイターはいろんな価値観を提示して、バランス感覚を養うように心がけている。
ならば、今の時代はこれまでボクが採ってきた方法とは逆になってしまっている。
ボクは「努力は見せない方がカッコいい時代」の方が居心地がいい。1975年生まれのボクは、苦しくったって、悲しくったって、平気な顔をしている時代の影響が、まだちょっと残ってた。
今じゃそれは通用しない。「だってあの人、できる人だもんね」って思われちゃう。苦しんで努力しているのを見せて、共感してもらう方が今の世の中に合っているのだ。
書いててもどこか変な感じがする。努力を見せるのはカッコ悪いと思ってるボクがいる。でも、これはしょうがない。将来どうなるか分からない時代に生きているんだから。未来はきっと明るいと思える時代ではないんだから。
だったら、ボクもアプローチを変えてみたいと思う。カッコ悪いと思っていたことも、やってみようと思う。それが今の時代に合っている表現のアプローチなら。
ニッチやマイナーを狙っていくほど苦しくなっていくならば、ひとつメジャーに向かっていくか。分かる人だけ分かればいい、をやめて、大きな市場を取りに行ってみるのもいいのかな。
コメントを残す