たぶん朝9時ごろに起きてます。でも、午前中の記憶があまりない…。
お昼を食べに行きました。2時過ぎだったので、人は全然いなかったけど、代わりに比較的大きなBGMがお出迎え。…え?「青いスポーツカーの男」? 青色7? なぜ今、この時期に?
そんなことを考えていたら「音楽が流れているってどういう意味があるのかな?」と、ふかぁーい所にハマってしまいました。自分もラジオで曲を流すということをやっていますので「なぜ、ラジオで曲を流すのか?」というところから始まり、聞いて欲しいからだろ? でも、それがリスナーの聞きたくないものを無理に聞いてもらっていることにならないかい? じゃ、何をかけたらいいんだ? …もう、わけが分かりません。
アミューズメントパークで「ネットワーク対戦クイズ アンサー×アンサー」をやりました。通信対戦で全国のプレイヤーと対戦できます。昔このようなクイズゲームがありましたが、今じゃタッチパネルで、直接画面に触れて答えを選ぶんだね。おもしろかったです。
土曜日のサッカー実況に備えて、ネクタイを購入。開幕戦ですからね。グランパスカラーの赤をチョイス。お値段は税込で4095円! ふだん買わないから忘れてました。こんなにするのね、ネクタイって。
伊藤理佐さんのマンガを薦められていたので、帰る途中で本屋に寄り「Kiss」も買ってきました。帰ってきたら、先週買ってまだ開いていないコミックバンチが。あした次の号が発売になるのに。いつの間にか、週刊マンガ買ってきても開くことなく次の号を買う生活になったなあ…。
お金を整理するために何枚かあった千円札を取り出したら、一枚だけ肖像画が違うものが。あっ、ニセ札! と思ったけど、それ、夏目漱石でした。あまりに似ていたので、一瞬混乱。アミューズメントパークでやっていたクイズで「現在の千円札の肖像画は誰?」という問題が出たら、答えられませんでしたよ。正直、今でも分かってないです。
夜はあしたのラジオで流す曲をキューシートに落とし込む作業と、土曜日のサッカー実況のための資料づくり。
テレビやラジオで広告を打っても、募集人員がそれほど集まらないことがあるそうです。ひょっとして、テレビもラジオも見たり聞いたりされなくなってるの?
他人を妬むのは嫌ですが、思いっきり悔しがるのはアリだと思います。悔しいなあと思って、努力するか別の道を探すかすればいいと思うのです。
2008年3月15日 at 10:17 PM
>aquaさん
いやあ、心地よく感じてもらっているかどうか…。どうなんでしょう…。ボクもストレートには言えない方なんで、なかなか…。でも、同じ言葉でもそれを発する人によって受け取られ方が違うこともありますから、パーソナリティって、聞いてる人がその人が言った言葉の意味を取っていることよりも、そこから「感じる」もので聞いてもらっているんでしょうね。
2008年3月15日 at 10:08 PM
確かに透けて見えてる気がする。
どんなフリートークでも言えている。
こうしてブログに本音を書いている人であれば
きっと素直に純粋な言葉で伝わっているようで
聴く人も心地よさを感じてるのでしょう。
私からすると、羨ましい。
他愛もない日常の会話やちょっとした書き物すら
未熟で未完成な自分には、透けて見られてる事を
拒み続けるあまり、人に伝わらないのを実感する。
格好つけたり、飾ったりしてないつもりだが、
ネガティブになっている自分の姿を時折はげます。
ラジオはトークよりも番組の曲のジャンルでしか
選んで無かったのだが、実はトークにおもしろ味があると
ようやく気がついた。
2008年3月14日 at 11:46 PM
>aquaさん
フリートークはある意味怖いです。その人の考えが透けて見えますから。でも、だから「パーソナリティ」という職業になるんですよね。人間的な部分があるから聞いてもらえたり、逆に聞いてもらえなくなったり。フリートークがあるからこそ、ラジオがラジオでいられるのではないかと思ってます。
2008年3月14日 at 12:20 PM
深~いところにハマる事、たまにあります。
聞きたい音って、人によって色々ありますね。
その日によって、その時によっても違ってる。
聴いてくれてる人みんなに、その曲が想い通りに届いて無くても
別の人には、伝わってる、、、そんな事を感じてる。
聴いてる人にしてみれば、番組でどんな曲が流れるか知らないわけだし、
無理して聴くというほど、オーバーにとらえてないかとも思う。
では、フリートークってラジオの中では、どんな位置付けなんだろう。
2008年3月7日 at 11:20 PM
>新子さん
ありがとうございます。わけが分からなくなっていたところに、行き先を示す案内が見つかったようです。
2008年3月7日 at 5:26 AM
こんにちは、はじめまして
音楽は心を潤すために必要だと思います。
だから聞かせなきゃ聴かなきゃが前提はとても悲しいと私は思います。
場違いな音は悲しいけれど、そこは音の流し手の腕の見せ所ですよね。ここでこれは変と感じるのは聞き手の感覚の問題ですよね。磨いていかないといけませんねそこのところはね。
ラジオでただアナウンサーの声が流れ続けるだけなら国営放送だけ存在すれば事足りると思いませんか?
知らない音の世界に足を踏み込むきっかけをこれからも一杯私たちに与えてくださいな。
生意気失礼しました。
メディアスFM聴いてます。