TOHOシネマズ名古屋ベイシティで「キャロル」を観る。なんでキャロルの気持ちとシンクロしたんだろう、ボクは。
1952年のニューヨーク。デパートでアルバイトをするテレーズ(ルーニー・マーラ)は、娘へのプレゼントを探すキャロル(ケイト・ブランシェット)に応対する。優雅で気品に満ちた美しさを誇るも、謎めいたムードもある彼女に魅了されたテレーズ。彼女にクリスマスカードを送ったのを契機に、二人は会っては話をする仲になる。娘の親権をめぐって離婚訴訟中の夫と争うキャロルと恋人からの求婚に思い悩むテレーズ。そんな中、彼女たちは旅行に出掛けるが……。
自分らしく生きる、ために支払わなければならないもの
今とは違うのが、1952年。劇中でタバコが吸われているのも、1952年は良く見られる光景だっただろうから。また、キャロルが悩んでいることは、今では認められつつあることだけど、1952年では違った見方をされていた。
自分らしく生きる、なんて口にするのは簡単だけど、それを手にするのは多くの犠牲を払う。さらに、それがマイノリティーなものであれば、なおさら多くのものを失うことになるかもしれない。
押さえきれない気持ち、分かる
自分に嘘をついていて、もう耐えられなくなった時に気持ちがどうなるかはボクも分かる。文字通り、抑えられなくなるんです。言葉が胸から上がってくる感じで、口に出さないとあふれてしまいそうになる。
キャロルが選択した道も、押さえられないものがあふれ出てきた結果だ。それがどんなに辛い道だとしても、そちらを選ばないとどうしようもない気持ち。
ボクがキャロルの気持ちと妙にシンクロしたのは、ボクにもどこかに満たされない気持ちが、どこかに孤独な気持ちがあるからなんだろうか。
目を閉じても浮かんでくるのは、少女のようなあどけない表情。そして、何かを知った後の大人びた顔。さらに、透き通るような白い肌…あ、こっちはテレーズだ。ルーニー・マーラだ。そっちもちゃんと観てるなんで、何が「満たされない」「孤独」なんだか。自分。
サッカー選手に例えたらこんなタイプ
自分だけで点を決めることができるセンターフォワード。周りが生かすことは難しそうかな。それだけ、自分でなんでもできちゃうタイプです。
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