109シネマズ名古屋で「パトリオット・デイ」を観る。テロ犯を追い込んだのは、見えない大きな力だ。
予報が当たらないと話題の気象予報士・重一郎(リリー・フランキー)は、さほど不満もなく日々適当に過ごしていた。ある日、空飛ぶ円盤と遭遇した彼は、自分は火星人で人類を救う使命があると突然覚醒する。一方、息子の一雄(亀梨和也)は水星人、娘の暁子(橋本愛)は金星人として目覚め、それぞれの方法で世界を救おうと使命感に燃えるが、妻の伊余子(中嶋朋子)だけは覚醒せず地球人のままで……。
日常から一変、そこが怖い
テロを起こした犯人を徹底的に追い詰めるサスペンス……という内容ではない。それは、観始めて何分経ってもテロが起こらないことで気がついた。
徹底的に、市民の日常を描いている。こちらはテロが起こっているのが分かっているから「この人たちがテロに巻き込まれてしまうんだな……」という、なんとも言えない気持ちになる。
そういうことなのだ。日常が一変、恐怖になってしまうのがテロなのだ。テロ前の日常を描くことで、それを描いているのだ。
犯人が捜査内部では特定できた。ならば早く発表しよう。いや、できない。それはなぜ? その理由が示されて、そうか、情報を出した後の世間へのインパクトまで考えているんだな、と。
これ、一方では情報の隠蔽って言われちゃうんだろうな。このあたり、情報を出すことの難しさを感じる。受け取る側が冷静に判断できればいいんだろうけど、そうはいかないだろうからなあ……。
力対力が最後に勝つもの
テロを起こした犯人を捕まえる。そのために大きな力を使うことになる。時には武器を使い、犯人を殺傷する。それって、暴力には暴力ってことにならないか?
ボクのその疑問を解消してくれるセリフがありました。正義がどう、というのは難しいけど、そこに「愛」があるかどうか、なんだな。
テロ現場で市民がメッセージを寄せる。そこには、犠牲になった人への哀悼の意と、テロに負けないというメッセージが込められている。そういったものも「愛」のひとつなんだろうな。
自分の身の周りにこういうことが降りかかったら……って思ったよ。テロの現場に居合わせることになってしまったら。
そこから逃げることができるだろうか。どうやって逃げるんだろう。身を低くしながら? 周りに負傷者がいたら、どうやって助ける? いや、このシミュレーションは全部、自分がケガをしていない前提だぞ。そんなにうまくいくはずないじゃないか。
戦場でもない限り、自分がそんなことになるなんて思っていない。そこを突くのがテロで、それに負けないようにするのが、日常を送っていた人たちのパワーであり、愛なんだなあ。
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