109シネマズ名古屋で「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」を観る。ひとつの報道が世に出るまでの戦い。それは外圧ではなく、自分との戦いだ。
映画『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』公式サイト 大ヒット上映中
ベトナム戦争の最中だった1971年、アメリカでは反戦運動が盛り上がりを見せていた。そんな中、「The New York Times」が政府の極秘文書“ペンタゴン・ペーパーズ”の存在を暴く。ライバル紙である「The Washington Post」のキャサリン(メリル・ストリープ)と部下のベン(トム・ハンクス)らも、報道の自由を求めて立ち上がり……。
正しい。でも……という心の動きをメリル・ストリープが演じる
言論の自由だ! 不正を暴かなければ! ということは簡単だ。でも、抱えているものが多いほど、それを実行するのは困難だ。
友人がいる。友人が告発する側の人だったら? 自分がすることで、敵になってしまうようだったら? ものすごく迷うと思う。
キャサリンを演じたメリル・ストリープの表情や仕草から、それを感じることができる。キャサリンは俗に言う「決められない人」のような印象を持ったんだけど、そりゃそうだ。抱えているものが大きすぎる。
それは決して、彼女の保身のためではなく、従業員を路頭に迷わせてはいけない、友人に迷惑をかけてはいけないという優しさからだ。
対して、ベンはとにかく記事を掲載する方に突っ走っていく。ゴーサインを出さないキャサリンに対してイライラするベンだけど、なんでキャサリンがそういう態度を取っているのかを、自分に降り掛かってきた問題で知ることになる。報道することの怖さ、って言うのかな。
自分の中に生まれる怖さと戦う
報道するのって、本来、こういう怖さは必要なんだよね。自分の中でその怖さと戦い、勝たなきゃいけない。あ、怖さって、外部や上からの圧力とかってことじゃないですよ。
誤報ではないかということや、法的に不利にならないかというような、あらゆる守りを固めても襲い掛かってくる不安。これが怖いんです。報じて終わり、じゃないですからね。その後も戦わなきゃいけないから。
報じたことで、何が変わったか。今まで声を出せなかった人に、勇気を与えた。法廷から出てくるシーンで、The New York Times の社員と The Washington Post の社員を取り囲む人の違いを観て、そうか、報道することの意味って、こういう所にあるんだなと思った。
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