午前、スターキャットで「ダイヤモンドドルフィンズTV」ナレーション録音。

午後、専門学校で講義。今年度は1・2年生合同でやっていて、2年生はこれが最後の講義。

小・中・高と「授業」という形式で受けていると、縦割りでしかものごとを見られなくなるのでは、と思う。国語の授業で習ったことは数学には使わないだろうと思っちゃいがちなように。元素記号の配列が、日本史で役に立つなんて考えにくいし。

ただ、専門学校の場合は学校自体がひとつの教科であるとも言える、とボクは考えています。だから、そこでやる授業は全部つながってるんですよね。他の先生で習ったことを、オリデ先生のところで試すことができるわけです。

そんな気持ちで授業を受けたら、専門学校って相当おもしろいところだと思うんだけどなあ。横断的に見ることができなくなっているんなら…ちょっと寂しいなあ。

帰ってきて「ノートに眠った願いごと」を観る。1995年に韓国で起きたデパート崩壊事故を背景にしたラブストーリー。

このご時世、会おうと思ったら会えるんです。しっかり時間をつくって、お金も出せば自動車や新幹線、飛行機で飛んで行けるし。さらにネットを使ってテレビ電話もできるから、距離なんてどうにでもなっています。ただ、どうにもならないのが、死ぬことで会えなくなったとき。

ましてや、この映画のような突然の別れが来たときなんて準備しているはずないから、喪失感や後悔、悲しみでどうしたらいいか分からなくなると思う。残された者が乗り越えるしかないんですよね。

突然の別れに備えて準備…なんて絶対にできないだろうけど、やれるときにやり尽くしておくということは、やっぱり大切だと思う。

あ、これだけの分量を書くことができるんで、体調は戻った…のかな?