TOHOシネマズ東浦で「クワイエット・プレイス」を観る。他人の死、自分の死について考えた。それを迎えた時、悔いはないか。
音に反応して襲撃してくる何かによって、人類は滅亡の危機にさらされていた。リー(ジョン・クラシンスキー)とエヴリン(エミリー・ブラント)の夫婦は、聴覚障害の娘ら3人の子供と決して音を立てないというルールを固く守ることで生き延びていた。手話を用い、裸足で歩くなどして、静寂を保ちながら暮らしていたが、エヴリンの胎内には新しい命が宿っていた。
鑑賞後に気がついた、妊娠した意味
音を立てたら死ぬのに、なんで妊娠するの? 赤ちゃんが産声上げた瞬間に襲撃されるでしょ? というのが、素朴な疑問でした。
でも、観終わってしばらくして気がついた。あれは贖罪の意味もあったのかな、と。
やってしまったことに対して、そのことを忘れないために、だったのか。あるいは、こういう状況でも命をつないでいくことは大切だ、と思ったのか。
別れに後悔はないか、最期に悔いはないか
人が死ぬことについて、残った者の思いは様々だ。なんで守れなかったんだろうとか、最期に大切なことを伝えてくれた、とか。そういう思いを持って、その後を生きていく。
この作品は、死への恐怖や、愛するものが突然いなくなるかもしれない環境の中に観客が擬似的に入ることによって、遠ざけがちである死について考えるきっかけになるものだ。ボクは考えたもの。全力で生きているかどうか、全力で人と接しているのかどうか、って。
音って、いいものですよ
さて、この作品は「音や声を出したら襲われる」という特殊な環境なので、前編通じてほぼ静か。
特に、聴覚障害の娘であるリーガンが登場するシーンは、こちらもそれを疑似体験しているかのようだ。音のない世界は、こういうふうなのか、と。
だから、この作品に流れる音がとても印象的だ。音って、いいなあと感じる。
観終わった後にきた、高揚感
ホラー作品なので、全編怖いです。でも、最後まで観た後の気持ちは、ものすごく高揚していた。もー、この先をみせてほしいよねー! ずっと怖かったんだから!
コメントを残す