109シネマズ名古屋で「エイリアン:コヴェナント」を観る。エイリアンっぽくないと思ったり、エイリアンっぽいと思ったり。

「エイリアン:コヴェナント」サイトトップページ

映画『エイリアン:コヴェナント』オフィシャルサイト

宇宙移住計画を遂行するため、コールドスリープ中の男女2,000人を乗せた宇宙船コヴェナント号は、植民地の惑星に向かって宇宙を航行する。最新型アンドロイドのウォルター(マイケル・ファスベンダー)が船の管理を任されていたが、途中で事故が発生。乗組員たちは必死で修復作業に取り組み……。

引用元:映画『エイリアン:コヴェナント』 – シネマトゥデイ

最初から、予想していたものとは違った展開

ファーストシーンから「これはいったいどんな展開になっていくんだ?」と不安になる。この不安は、ボクの貧しい想像力をはるかに超えるシーンが最初だったから。

エイリアン、って言うと、最初に宇宙船の全景から始まって、乗組員のキャラクターをそれぞれの会話から透けてみえるようにして、そこにエイリアンという不安要素が入って、徐々に殺されていって、キャー! ……みたいな展開だと思ってました。それが、この作品はいきなり、テーマを暗示させるような会話が続く。

宇宙船でのバトルよりもこっちの方が大事なんですよ、と言わんばかり。おかげで、早い段階から観る構えを変えることができました。これ、かなり哲学的なところにいくかもしれないぞ、と。

まあ、ボクは初めて観たエイリアンシリーズがこの作品ですから。それでも思ったのは、エイリアンって最初に比べてずいぶん遠いところに来ちゃったシリーズなんだなあってこと。

今の時代の雰囲気に合わせた、新しいエイリアン像

エイリアンから逃げる、怖い。乗組員が油断している、危ない。エイリアンに襲われる、グロい。そして、エイリアンを排除してヤッター! と喜ぶ、っていうのが基本路線だと思うんですよ。でも、今はもう、そういうものは徹底的にやられちゃっている時代。この基本路線に、どういう新しい要素を加えるかってことが大変なんだろうな、って思うんです。

ならば発想を変えて、エイリアンというモチーフを使いながら今の時代や監督の考えにフィットするような話にしよう、という印象があったのがこの作品。エイリアンシリーズが最初に作られた当時、今回の作品のような解釈ができる世の中の下地はなかったはず。

昔のものをそのまま作ることは簡単なんだろうけど、それではクリエイターとしてものたりなさがあるはずだ。でも、観ている人は昔のあの感じ、を求めがちになるわけで。

この作品でも、昔のあの感じを味わえるようなシーンがある。これぞエイリアン! って思ったんだけど、そのシーンになった瞬間に「はい、このキャラクターの死亡フラグがたった!」って思ってしまった。

エイリアンシリーズを観ていないボクでさえ、イメージから「はいはい、このキャラクター、ここで死ぬのね」って気持ちになってしまうような時代。昔のままの作品を作ってはいけないのだ。リメイクとかリブートって、大変な作業だなあ。