伏見ミリオン座で「デトロイト」を観る。中盤から突きつけられる、観客への問い。自分は、この時代に生きていたら、声を上げることができるだろうか。

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映画『デトロイト』公式サイト

1967年の夏、アメリカ・ミシガン州デトロイトで大規模な暴動が発生し、街が騒乱状態となる。2日目の夜、州兵集結地の付近で銃声が鳴り響いたという通報が入る。デトロイト警察、ミシガン州警察、ミシガン陸軍州兵、地元警備隊は、捜査のためにアルジェ・モーテルの別館に入る。数人の警官が、モーテルの宿泊客相手に捜査手順を無視した尋問を開始。自白を強要された宿泊客たちは……。

引用元:映画『デトロイト』 – シネマトゥデイ

途中から自分がその現場にいるような錯覚に!

最初は「ふんふん、当時のデトロイトの雰囲気を描いた作品なのね」と思いながら観てました。1960年代には、こういう差別も残っていたのだ、と。

ところが、途中からそんな印象はどこかへ行ってしまった。アルジェ・モーテルの別館のシーンから、息詰まる展開になっていく。俯瞰してみていた当時の社会の中に自分が入り込んでしまっていた。

今だから言えるのは未来人のきれいごと、か

2018年の目からみたらおかしいと声を上げて言えることでも、当時はそんな空気ではなかった。未来人はこういう時、きれいごとを言うような感じになってしまう。過去の人たちは言うだろう、じゃあ、あなたがこの時代に生活していたとしたら、声をあげることができましたか、と。

クラウスを演じたウィル・ポールターなんで、こんな役を演じるのは損なんじゃないか、と思ってしまうくらい、ひどい。でも、彼が演じたからこそ、当時の社会がここまでリアルに描くことができたんだろうな。

この作品、ここで終わるかと思っていたところからもうひと幕ある。そんなことになってしまうのか、と、絶望的な気持ちになった。そして、ラストでは登場人物のその後が語られるけど、存命の方ばかり。51年前の事件を題材にしているので、生きているのはおかしくないんだけど、こういう社会はついこの間まであった、とも言えるんだよなあ。

作品をみていると、容疑をかけられるのは自業自得、と思ってたんだけど、事件の発端となった行為はこの作品のために脚色しているんだね。この作品のようなことが、文字通り引き金だったのか、それともまったくのでっち上げから捜査に入っていったのか。

「あなた、この時に言えますか?」と突きつけられている

それでも、あの捜査の方法は今の時代からみるとおかしい。もちろん、当時もおかしいんだろうけど。そういう、おかしいと思えることに対して声をあげられるだろうか。簡単には言えない。だって、社会の空気に流されてしまうかもしれないから。「あなた、その現場にいたら、声を上げること、できますか?」と、この作品に問われている気がした。