映画「マン・オブ・スティール」を、109シネマズ名古屋できのう観ました。自分に特殊な能力があって、人と違うことで悩むというプロセスは、こないだ観た映画「ガッチャマン」と同じ。でも、この作品の方がよかったです。

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ジョー・エル(ラッセル・クロウ)は、滅びる寸前の惑星クリプトンから生まれたばかりの息子を宇宙船に乗せて地球へと送り出す。その後クラーク(ヘンリー・カヴィル)は、偶然宇宙船を発見した父(ケヴィン・コスナー)と母(ダイアン・レイン)に大事に育てられる。そして成長した彼は、クリプトン星の生き残りのゾッド将軍と対峙(たいじ)することになり……。

引用元:映画『マン・オブ・スティール』 – シネマトゥデイ

葛藤や孤独を、映像で感じた

自分にすごい力があっても、それを人前で使うことは許されない。でも、危機に面している人を見捨てるわけにはいかず、その能力を使って助ける。そして、騒ぎになるのを恐れて姿を消す、という葛藤や孤独が映像で伝わってくる。漁師町の感じが、それを引き立たせてるんだよね。

映画「ガッチャマン」は、こういう感情を言葉で説明しちゃってるんです。だから、ジュンがあんな言わなくてもいいセリフを言ったりして…って、あのセリフに相当引っかかってるな、ボクは。

2人の父親の存在

それを導いていく2人の父親が立派でねえ…。地球に送った意味を伝え、主人公の生きる意味を伝える父親、そして、自分の力が他の人から必要とされるまでは公にするな、ということを伝える父親。ボクも観て思ったもん。「この状況でも人前で見せちゃダメなのかーっ!」って。

戦闘シーンは「ドラゴンボール」みたい

戦闘シーンがね、もうマンガ「ドラゴンボール」なんです。自然の建造物も人工の建造物も、もうメッチャクチャになる。そこまでの激しい戦いをしてるのに、すぐそばに民間人がいるシーンがある。そんな間近にいたら危ないし、下手すりゃ死んじゃうだろ! と思うこともありました。

でも、それがクライマックスで生きてきたなあ。あの形で決着をつけたことで、真のヒーローになったということを現しているんだろうな。

自分の特殊能力を人のために使い、それが周りからも喝采されるというストーリーに胸がスッとする思いを持ってスクリーンをあとにしました。やっぱり、時間をかけてじっくり葛藤を見せてくれると、クライマックスに向けて気持ちが盛り上がるなあ。映画「ガッチャマン」に足りなかったのはじっくり見せる時間だったんだろうからなあ…って、どうしてもあの作品のことを考えちゃいます。