鼻濁音、なんてアナウンサーや声優になりたい人くらいしか気にしていないだろうね。あ、俳優になりたい人も気にしているのかな。とにかく、美しい日本語を話すことを目標にしている人にとっては身につけなければならない技術…なんだけどね。「助詞の『が』の発音がきたない!」なんて、普通に生活していたら言われない指摘だよなあ。

「鼻濁音」来世紀ほぼ消滅? もともと使わない地域も…:朝日新聞デジタル

日常で鼻濁音を使っている人は少数派。だいたい2割です。60代から70代は3割から4割の人が鼻濁音を使うんだけど、40代以下では2割以下。地域別では、東北と北陸では6割から7割の人が鼻濁音を使うのに対して、中国地方や四国、それに九州では鼻濁音を使ってる人はいなかったんだって!

さらに、鼻濁音は来世紀には東北地方でわずかに残るだけで、それ以外の地域では消滅する可能性が高いとか。もうこうなってくると、何のために鼻濁音の法則を学んだんだか!

 日本語で優しく響く発音とされるガ行の「鼻濁音(びだくおん)」を日常生活で使う人は5人に1人しかおらず、全国的に著しく衰退しつつあることが、国立国語研究所の調査でわかった。来世紀には東北地方でわずかに残るだけとなり、それ以外の地域は消滅する可能性が高いという。

引用元:「鼻濁音」来世紀ほぼ消滅? もともと使わない地域も…:朝日新聞デジタル

「言葉に対しては保守的であれ」と教わりました。「世間では一般的に使われている発音でも、言葉を扱う商売の人は従来の使われ方を守りなさい」ってね。

ところが、必死に守ってきた言葉の使われ方も「もういいかもね」ってことになったらひっくり返ります。「映画」だって、もともと頭高のアクセントだったのに「平板のアクセントで使う人が多くなって一般的になったよね」ってことになって、今は「どっちを使ってもいい」ってことになってます。

鼻濁音もそのうち、古い技術になってしまうんだろうなあ。「言葉の頭にくるもの、数字、カタカナで書けるもの以外のガ行はすべて鼻濁音」って覚えた知識もいらなくなってしまうのか…。

それでもボクたちは鼻濁音を使っていくんだろうか。どこかのタイミングで「鼻濁音、もういいよね」ってことになるんだろうか。「美しい日本語の響きが…!」なんて言っていても、日常で使われなくなったら、それを美しい響きだなんて思わなくなるかも。

ボクは鼻濁音の響きは美しいと思ってます。でも、美しい発音ができれば仕事になるというものでもない。言葉に対して保守的であれ、というのならば、そういう人が活躍できる場所をたくさん作ってほしいものです。でないと、鼻濁音が美しい日本語を作っていることも認識されなくなっちゃうよね。